あの頃の東京、叔父の背中。そして窓の向こうの青年
1960年代の終わり頃は、新宿中央公園のすぐそばにも、
まだ古い木造の戸建て家屋がたくさん残っていた。
そんな家々の一つに、母の妹と一緒に暮らす叔父がいた。
当時、ワタシは千葉に住んでいたが、時折、両親に連れられてその叔父の家に遊びに行くのが、何より楽しみだった。
なにしろ東京の、しかも「新宿」という中心地に出かけるのだ。
目に入るすべてがまぶしく、刺激的だった。4歳か、5歳か──そんな年頃のワタシには、まるで別世界だった。
土曜の夜、仕事から帰った叔父は、白いカレー皿に盛られたご飯の上に、ちりめんじゃこをふりかけていた。
冷蔵庫から取り出したビールをあけたり、ウィスキーのグラス(お気に入りはサントリーのRED)を傾けたりしながら、
そのじゃこのご飯を、実にうまそうに食べるのだった。
静かで、控えめで、それでいてどこか都会の匂いのする叔父。
その姿は、幼いワタシの目に
「かっこいい大人の、東京の男」として、強く印象付けられた。
あれから、気づけば半世紀以上が過ぎ、
ワタシは朝の通勤バスに揺られて、仕事場に向かう日々を送っている。
そして、ある夏の朝のこと。
ふと、バスの車窓から見えたひとりの青年に、目が留まった。
浅黒く、少し面長な輪郭。
目鼻立ちの雰囲気が、なぜだかあの叔父に、よく似ていた。
知らない若者だ。名前も、年齢も、どこで何をしている人なのかも分からない。
けれどワタシは、思わず胸の奥がざわつくのを感じた。
「あの叔父さんも、若い頃はきっと、あんなふうだったのだろうか」
青年は歩行者用信号を待ちながら、夏の朝の空を、ほんの少し眩しそうに見上げていた。
やがて、彼は車窓から遠ざかり、ワタシは再び、今日という日常へと戻された。
記憶は、ふとした瞬間に開く小さな窓のようなものかもしれない。
そしてその窓の向こうには、いつも、静かにあの頃の匂いが、光が、言葉が、息づいている。
時代は移り、人も老い、街並みもすっかり変わってしまったけれど、
あの白い皿のちりめんじゃこのご飯を、美味しそうに頬張っていた叔父の姿は、
今も、変わらぬままワタシの中に生きている。
変わってしまった世界の中で
去年の10月のことを、思い出してみる。
そのとき旅した南ヨーロッパは、
明るい光と色彩に満ちあふれていた。
人気の観光地は、どこも各国からのお客で賑わい、
笑顔と陽気な声が飛び交っていた。
それからわずか半年。
世界の様相が、ここまで一変してしまうなどと、いったい誰が
奇妙な夢の中にでも想像し得たであろうか。
あの日訪ねたあの土地で、出会った人々は、
いまごろどうしているのだろうか。
騒ぎが大きくなり始めた頃、
巨大な白い客船が沖に浮かび、そして埠頭に繋がれる姿を
この目で見た。
だがマスコミで騒がれる話題と
現実の自分との間には、まだずいぶん距離があった。
影響を受ける人々が次第に増え始め、
ウチの近所の地名も、ちらほらと報道されるようになった。
緊急事態が宣言されたが、ワタシの仕事場の最寄り駅では
朝の通勤風景に何の変化もなく、いつも通りの人波が流れていた。
電波に乗っている報道と、電車に乗っている自分との乖離に
呆然としているうちに
在宅勤務、そして臨時休業と状況は変化した。
これから先、どのような展開が待っているのか
かなり不透明なままである。
第二次大戦以来、とさえいわれる未曾有の危機が
いち地方都市から空を越え海をわたり、こんなにやすやすと
足元まで迫ってくるとは、正直思ってもみなかった。
人類の力が、この危機を乗り越えてくれるよう願うと同時に、
大きな障壁、そして分断を経験した世界がどこへ向かうのか、
言いようのない不安も感じる。
2015年9月のフランス、
ロワール地方で過ごした夢のような時間を思い出しながら、
思い立ったとき、行きたい場所へ旅する自由のある世界が、
ふたたび戻ってきてくれることを祈っている。

バルセロナ・ガウディ建築と海辺のレストラン
バルセロナ二日目は、朝からまずサグラダファミリア教会を見学。
サグラダ・ファミリア。
日本語では、聖家族教会とも呼ばれている。

あぁなるほど、英語だとsacred familyかぁ、などと
ひとり納得しながら、空港並みか
空港以上に、かなり厳重な入り口ゲートの
セキュリティチェックを受ける。
じつは、前回に書いたデモの影響で、
もし日程がほんの数日ずれていたら
封鎖されていて入場できなかったところだったのだ。
そのサグラダ・ファミリアは、
ガウディの没後100年にあたる2026年に完成予定と
現在アナウンスされているが、
未完成部分の建築と、時代を経て古くなった箇所の
補修という作業が、並行して進められている状況のようだ。

さてセキュリティを無事抜けて入場してみれば、
有名なキリストの物語が、細部まで複雑な
ディテールを持つ彫刻と、
色鮮やかなステンドグラスで表現されていて目を奪われる。
天才建築家が生涯をかけた巨大な芸術に、
ただ圧倒されるばかりのひとときを過ごす。



資料館に併設された売店で、
サグラダ・ファミリアグッズを数点購入。
見学を終えて次に移動したのは、細い道路で住宅地を抜けた
小高い丘の上にあるグエル公園。

ガウディの友人であり協力者でもあったグエル氏の依頼で、
分譲住宅地として開発されたがまったく売れず、
その後公園となった場所である。
バルセロナの海を見下ろす緑の多い公園に、
ガウディ趣味あふれる塔、その他の建造物や
彫刻があちこち配置されている。

見ようによっては可愛らしいものもあり、
眺めているだけでもなかなか面白い。

公園の一角、ギター・プレイヤーの演奏が、
実に自然な感じで耳に入ってきた。

グエル公園の見学を終えるとバルセロナの街なかへ戻り、
これまたガウディ建築として有名な
2軒の建造物、カサ・ミラと
カサ・バトリョを見学する。

どちらも世界遺産登録。外壁全体の波のような
曲線が印象的なカサ・ミラ、そして
バルコニーの仮面(眼鏡?)を思わせるデザインと
散りばめられたタイルに目を奪われるカサ・バトリョ。
まったく異質の方向性でまとめ上げられた、
芸術品と呼べる建造物である。


見学が終わると、もう昼食の時間である。
海沿いのエリアへ移動して、ヨットハーバーにある
レストランで昼食。
美しい海の色とまぶし過ぎる陽光。

美味しい料理にワイン、運んでくれるスタッフに
声をかけてみれば、
みな陽気にリラックスした表情を返してくれる。

今夜ホテルに帰って一泊すれば、明日はもう帰国である。
地中海沿いの風景をたっぷり見ることができた
今回の旅は本当に素晴らしかった。
鮮やかな色彩と明るい陽光に彩られた記憶を
心の中に呼び起こしながら、
タクシーで市内中心部へと戻り、
大きなデパート、エル コルテ イングレスで
自分用、職場用とあれこれお土産を買い込んで
ホテルへと戻った。
バルセロナ・独立問題に揺れるガウディの街
城塞都市カルカッソンヌを出発し、向かった先は
スペインのバルセロナ。
フランスからの国境を越えて、少し走ったところの
パーキングエリアでトイレ休憩。
売店で働く若者たちと挨拶を交わせば、
スペインに入ったことが実感できる。
休憩を終え、陽も落ちて暗くなった空の下を
再びバスは動き出すのだが、
今回この旅、はじめての渋滞でクルマの流れが悪い。
理由を聞いてみれば、なんとデモが起きていて
その影響だという。
渋滞はバルセロナ市内まで断続的に続き、
市内に入ってみると、ホテルに向かうルートが
要所要所、警察車両によって封鎖されていて、
バスは予定外の遠回りを食わされる。
業を煮やしたイタリア人のドライバーさんが、
バスを停めて運転席から降り、
道路を封鎖する警官隊と直接談判する一幕もあった。
なぜこんな騒ぎになったのか。それには、
バルセロナを含むスペイン北東部カタルーニャが、
紀元前から、独自性を保ちつつ辿ってきた歴史が
大きく関係している。
前回書いたカルカッソンヌ同様、
周辺諸国の勢力が興隆と衰退を繰り返すたび
不安定な状況を経験してきたこの地域。
時代が流れ、スペインのひとつの州となって
組み込まれてみれば、豊富な観光資源もあり
スペイン国内総生産の20パーセントを占める豊かな州となった。
税収の少ない他の州との、分配格差も起きてくるわけである。

今回の旅でバルセロナには二泊したのだが、その二泊とも、
まさに同じ市内で起きている騒動の現実を
テレビはトップニュースで伝えていた。
積み重ねたバイクが燃やされたり、
警官隊に向けて火炎ビンが飛んでいたり。
同じ市内で同じ瞬間に、『いま、そこにある独立問題』を
感じさせられた印象深い体験となった。
バルセロナに着いた晩の夕食はパエリア。

素材の醸し出す味が、しっかり出ていてとても美味しい。
手長海老と、そうでない海老の二種類が使われており、
これも美味しさの秘訣なのかなと、印象的だった。
食事を終えて、店を出る。
ライトアップされ夜空に聳えるサグラダファミリアの姿が
印象的であったことは、言うまでもない。

カルカッソンヌ・城塞都市と女領主の伝説
マルセイユのホテルを朝、出発して5時間近くの移動。
フランス南西部。スペインとの国境もそろそろ
近づいてこようかという場所。
歴史的城塞都市として、世界遺産に登録されている
カルカッソンヌに入る。

カルカッソンヌに砦が作られはじめたのは
はるか紀元前3世紀の頃。
地理的な優位性により古くから争奪、攻防の激しかった地域である。
城塞都市の姿の堅固さが、それを物語る。
街の名前の由来となったとされるのは、
サラセン人による占領の頃、
フランク王にしてローマ皇帝、カール大帝が
攻勢を仕掛た際の一説である。
5年におよんだ包囲の中、夫亡きあとの騎士団を
率いていたのは女領主カルカス。
尽きかけた兵糧を確認してみれば、豚一頭と小麦の袋。
これを見て一計を案じる。
豚に小麦を食べさせ太らせて、塔から放り捨てたのである。
太った豚を捨てるぐらいだから、包囲による兵糧攻めは失敗と考え
大帝軍は撤退を決めた。
街じゅうの鐘が戦勝を祝しているなか、
撤退する大帝軍の一人がこう記した。
「カルカスが鐘を鳴らしている(Carcas sonne ; カルカ・ソンヌ)」
と。
城塞都市入りの前に、街のホテル一階のレストランで昼食。
カスレという郷土料理は、鶏やウインナーと
白いんげん豆を煮込んだもので、
日本の鍋料理の後の、熱々のおじやを思い出した。
ヨーロッパの街並みを背景に見ると
カッコよく見える日本車。この車種は好評なのか、
各地で毎回、とてもよく見かける。

ちょっと、灰色の雲が多かったこの日。
訪れるものを正面入り口近くで迎えるカルカスの像。
レプリカであり、実物は城内に展示されている。
城塞都市内には、興味深いお土産や食べ物のお店がたくさんある。
コンタル城内に入場し、城壁の上などを歩くルートを散策した。
マルセイユ・文化の交じり合う港町
胸に残ったエクス-アン-プロヴァンスでの
ひと時を終えて、しばらく移動。
マルセイユの街に入る。
まず最初の驚きは、ワタシの近所でもお馴染みの
ホテルチェーン、東横インが
どーんと店を構えていたこと。

日本からマルセイユに用事があり、
またあるいは興味をもって旅をした宿泊客には、
大きな味方になってくれることであろう。
そしてさらに市街地を中心に向けて移動してみれば、
アフリカ系の移民によって、占拠された状態の区画が見えた。
治安の維持が決して行き届いていないという説明を聞きながら
この国の移民問題、政策について
考えさせられた一瞬であった。
街の散策がもっともっとできたらよかったのだが、
スケジュール上、時間の余裕はなく、とても残念。

だが港の対岸、丘の上に見える
ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ大聖堂の
姿だけは、しっかりと記憶にとどめることができた。
濃淡のツートーン・カラーが印象的な、
ロマネスク・ビザンチン様式の美しい姿である。

情報によれば白い部分の石灰岩は
エクス・アン・プロヴァンス近郊の街で切り出されたもの。
そして濃い部分はトスカーナ産の石材だそうである。

時間こそ、十分には取れなかったのだが
天気も良く、眩しい陽光に満たされた
港町の情景を十分に満喫し、同時に空気もたっぷり吸い込んで
今夜の宿へ移動した。
エクス-アン-プロヴァンス・白昼の葉陰とアトリエの頭蓋骨
カンヌを出発し、しばらく移動。
エクス・アン・プロヴァンスへ。
後期印象派の巨匠ポール・セザンヌが生涯描き続けた
サント・ヴィクトワール山が、大きく左右に横たわるように
視界の中へ入ってくる。
描かれた数多くの作品で印象的な、三角形に近い山かげは、
見る方角によっては、ずいぶん横へ長く延びていることがわかる。
エクス・アン・プロヴァンスの街は、
プラタナスの木陰に覆われた通りと、
美しい噴水が印象的な、とても居心地の良い場所である。


街なかのレストランで昼食にいただいた
ワインのおかげもあって、実にいい気分。
賑わいを見せる商店街には、
アーモンドを使ったカリソンというお菓子やヌガー、
石鹸、珍しい果物などを扱う商店が、軒を連ねる。
1902年、セザンヌ63歳で建てたとされるアトリエを見学。

長い年月による各部の老朽化も起こっているらしいが、
あくまでもオリジナルを残すというこだわりから、
現在のところ補修や補強は行われていないそうである。
画材や、実際に作品で描かれたテーブルなど、
当時のままの現物が残されている。
そんなアトリエ内部の品物のなかで、
これまたいくつかの作品に登場する、頭蓋骨が目に止まった。

光あふれる美しい街で、ただ順風満帆の画家生活を
送っていたわけではない。無理解や批判、そして自身の病。
逆風に立ち向かいながら、自らの美的感覚を貫いた、
彼の創作の歳月を想像してみる。

大作の搬出用に使われた、アトリエ裏の扉。